金比羅山古墳 (甘楽町)とは? わかりやすく解説

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金比羅山古墳 (甘楽町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/05 20:43 UTC 版)

金比羅山古墳

墳丘・石室開口部
別名 金毘羅山古墳
所在地 群馬県甘楽郡甘楽町大字小川713
位置 北緯36度14分59.40秒 東経138度55分11.05秒 / 北緯36.2498333度 東経138.9197361度 / 36.2498333; 138.9197361座標: 北緯36度14分59.40秒 東経138度55分11.05秒 / 北緯36.2498333度 東経138.9197361度 / 36.2498333; 138.9197361
形状 円墳
規模 直径22m
埋葬施設 横穴式石室
出土品 耳環・勾玉
築造時期 6世紀後半
史跡 甘楽町指定史跡「金比羅山古墳」
特記事項 平面L字形石室
地図
金比羅山
古墳
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金比羅山古墳(こんぴらやまこふん、金毘羅山古墳)は、群馬県甘楽郡甘楽町小川にある古墳。形状は円墳。甘楽町指定史跡に指定されている。

概要

群馬県南部、雄川東岸の河岸段丘の上位段丘縁辺に築造された古墳である[1]。段丘面上には笹森古墳天王塚古墳のほか小円墳など多くの古墳が分布しており、本古墳はその西端に位置する[1]。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳形は円形で、直径約22メートルを測る。埋葬施設は横穴式石室で、南南西方向に開口する。玄室・前室・羨道からなる複室構造の石室で、玄室が奥に向かって左側に広がりL字形の平面形を呈するという、珍しい形状になる。石室内の副葬品は詳らかでないが、前室奥寄りで耳環1・勾玉1が出土している[1]。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[1]

古墳域は1991年平成3年)に甘楽町指定史跡に指定されている。

埋葬施設

石室俯瞰図
石室展開図

埋葬施設としては横穴式石室が構築されており、南南西方向に開口する。玄室・前室・羨道からなる複室構造の石室で、玄室が奥に向かって左側に広がり、平面形としてはL字形を呈する。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:現存7.68メートル
  • 玄室:長さ約2.0メートル、幅約2.4メートル(奥壁)、高さ約1.5メートル
  • 前室:長さ約2.1メートル、幅約1.1メートル、高さ約1.5メートル
  • 羨道:長さ現存約3.6メートル、幅約0.9メートル

石室のうち羨道部は大きく破壊されている。石室の石材は、玄室・前室では大型の石を使用するが、羨道部では小ぶりの石である。玄室・前室の床面に厚い骨粉が認められており、玄室・前室とも複数の遺体が埋葬されていたと見られる[1]

文化財

甘楽町指定文化財

  • 史跡
    • 金比羅山古墳 - 1991年(平成3年)1月28日指定[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f 群馬県史 資料編3 原始古代3 1993.
  2. ^ 金比羅山古墳(甘楽町ホームページ)。

参考文献

関連項目

外部リンク




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