野口諭実可とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 野口諭実可の意味・解説 

野口諭実可

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/25 11:59 UTC 版)

野口 諭実可
Yumika Noguchi
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1992-07-28) 1992年7月28日(32歳)
出身地 群馬県
身長 160.5cm
体重 62.0kg
選手情報
登録番号 014896
所属 日本競輪選手会大分支部
期別 102期
脚質
登録地
2012-2018 群馬
2018- 大分
選手情報 KEIRIN.JP
■最終更新日:2021年8月26日  テンプレートを表示

野口 諭実可(のぐち ゆみか、1992年7月28日 - )は、群馬県出身の女子競輪選手日本競輪選手会大分支部所属(当初は群馬支部所属)、ホームバンクは別府競輪場日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生。

経歴

幼い頃はゲームが好きなインドア派だったが、両親から勧められ空手を習ったことがスポーツを始めたきっかけであった[1]。中学生になると水泳部へ入部、競泳では伊勢崎市佐波郡中学校春季水泳大会100m自由形で2位となった経歴を持つ[2]。ただ、進学した常盤高校では部活はせず、いわゆる「帰宅部」だった[1]

高校卒業を控え進路を考えた時に、大学進学は毛頭になく自衛隊への入隊も考えていたが、元々父親が競輪ファンであり親子で競輪を観る機会が増えたこと、周囲がガールズケイリンが始まることを教えてくれたこと、そして野球部の顧問の先生も競輪ファンでトレーニングに付き合ってくれたこともあり、競輪選手を目指すことになった[1][3]

2011年2月25日、競輪学校第102回適性試験に合格[4]。ただ、高校入学以降はほぼ運動をしていなかったこともあり、在校競走成績は28位(1勝)[5]。唯一の勝利は卒業記念レースで最後のレースで取ったものだった[1]

2012年7月6日京王閣競輪場でデビューし5着。初勝利は2013年7月27日平塚競輪場

当初の成績は低迷したが、やがて慣れてくると3年目あたりで成績が安定するようになる。ただ、デビューしてから5年目の2016年、現状打破を考えていたその時、競輪場内で物品販売に来ていた川野信一郎(52期、引退)から声を掛けられ、川野のいる大分へ出稽古に出向いたことが飛躍のきっかけとなった。そして環境を変えるため、2018年11月19日付けで、日本競輪選手会大分支部に移籍。

2021年2月27日小倉FII(ミッドナイト)で初優勝[6]

2023年1月15日、同年のガールズケイリンコレクション平塚ステージ(5月)出場権を賭けたコレクショントライアルいわき平)で決勝2着となり、初のビッグレース出場権を獲得。

2025年2月7日大宮競輪(F1 日刊スポーツ新聞社杯)参加中にドーピング検査対象選手に選定され尿検体を採取したところ、同年2月28日、分析機関より野口のA検体から禁止物質である蛋白同化男性化ステロイド薬「ナンドロロン」の代謝物、抗エストロゲン薬の「クロミフェン」及びその代謝物及び 「タモキシフェン」の代謝物が検出されたとの通知があった。 同年3月2日からあっせん保留。その後野口への事情聴取等の調査の結果、JKAから禁止薬物によるドーピング違反と認定され同年4月1日から3ヶ月の出場あっせん停止処分が科された[7]

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  野口諭実可のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「野口諭実可」の関連用語

野口諭実可のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



野口諭実可のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの野口諭実可 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS