鄭江_(元)とは? わかりやすく解説

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鄭江 (元)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/07 09:54 UTC 版)

鄭 江(てい こう、? - 1271年)は、モンゴル帝国大元ウルス)に仕えた漢人将軍の一人。河間府河間県の出身。

生涯

鄭江は山東路都元帥に任じられていた鄭義の息子で、兄の鄭沢に地位を譲られると、クビライより侍衛親軍副都指揮使・判武衛軍事・兼景州軍民人匠長官の地位を授けられた[1]

1262年(中統3年)、済南府李璮の乱が起こると クビライは各州県長官の子弟を千戸に充てるよう命じ、これによって鄭江の子の鄭郇が千戸に任じられた。鄭郇は景州新簽軍を率いて反乱軍を王馬橋で破り、諸王カビチはこれを賞して銀50両を与えた。李璮の乱が鎮圧されると鄭郇は千戸の地位を失ったが、鄭江は左衛親軍都指揮使の地位に昇格となった。1271年(至元8年)に襄陽城の戦いで鄭江が戦没すると、鄭郇がその地位を継いだ[2]

脚注

  1. ^ 『元史』巻166列伝53鄭義伝,「鄭義、河間人也。初、事太宗、佩金符、山東諸路都元帥・兼景州軍民人匠長官。従伐金、歳壬辰、与敵戦于帰徳、死之。弟徳温襲。甲午、従攻徐州、陥陣而死。子沢襲。従万戸史天沢出征、多立戦功。年老、弟江代其職。世祖北征、賜金符、授侍衛親軍副都指揮使・判武衛軍事・兼景州軍民人匠長官」
  2. ^ 『元史』巻166列伝53鄭義伝,「中統三年、李璮拠済南叛、世祖令各州県長官子弟充千戸、於是以江子郇為千戸、領景州新簽軍千餘、敗賊衆于王馬橋、諸王哈必赤賞銀五十両。璮平、郇以例罷。江陞為武衛親軍都指揮使、賜虎符、尋改属左衛。至元八年、従攻襄陽、歿于陣、郇襲其職」

参考文献

  • 元史』巻166列伝53鄭義伝
  • 新元史』巻153列伝50鄭義伝



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