足立神社 (さいたま市西区)とは? わかりやすく解説

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足立神社 (さいたま市西区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 09:51 UTC 版)

足立神社
所在地 埼玉県さいたま市西区飯田54
位置 北緯35度53分51.0秒 東経139度35分22.7秒 / 北緯35.897500度 東経139.589639度 / 35.897500; 139.589639座標: 北緯35度53分51.0秒 東経139度35分22.7秒 / 北緯35.897500度 東経139.589639度 / 35.897500; 139.589639
主祭神 天神七代尊地神五代神日本武尊市杵島姫命多岐都比売命猿田彦命大国主神天手力男神菊理姫命倉稲御魂命応神天皇菅原道真
社格 式内社論社、村社
創建 孝霊天皇代(BC290~BC215年)
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足立神社(あだちじんじゃ)は、埼玉県さいたま市西区神社

歴史

第7代孝霊天皇の御代の創建で猿田彦命を祀るとされる。その後、日本武尊が東征の折に立ち寄り素戔嗚尊を勧請したと伝わっている[1]

この式内社「足立神社」は殖田郷に鎮座していたが、長い年月が経過したことで、江戸時代には「足立神社」と称する神社が複数存在することになり、どれが真の足立神社であるかが不明となっていた。当地周辺だけでも植田村本村と水判土村に足立神社が存在していた[2]

1873年明治6年)、旧飯田村の現在地にあった「氷川神社」が近代社格制度に基づく「村社」に列せられた。1907年(明治40年)の神社合祀により、当時の植水村内の30社が氷川神社に合祀された。その中には、旧植田村本村と旧水判土村の足立神社2社も含まれており、これを機に「氷川神社」から「足立神社」に改称した[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 埼玉県 (1931年). 埼玉県: “埼玉県史 第2巻 奈良平安時代”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2025年5月14日閲覧。
  2. ^ a b 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年、200-201p

参考文献

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年



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