あかざわぶんじ 【赤沢文治】
金光大神
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金光大神(こんこう だいじん、文化11年8月16日(グレゴリオ暦1814年9月29日) - 明治16年(1883年)10月10日)は宗教家・金光教教祖。戸籍名は金光大陣。
- ^ 風呂場、便所の建築後長男が死亡、門納屋の建築で長女が、母屋の建築で次男、続いて飼牛が二年続けて同日に死亡した。先に義父と義弟が亡くなっており、併せて七つの死を経験したのであった。
- ^ 当時「のどけ」とよばれた病で、湯水も喉を通らず、声も出ない状態で、重い扁桃腺炎か、甲状腺の炎症と考えられる。
- ^ 四十二歳の大患と呼ばれ、祈祷者である古川治郎の口を通して石鎚山の神が、文治に「金神に無礼があった」と伝えたが、その言葉を義父である古川八百蔵が、文治は日頃から厳格に日柄方位を守っていると、神に抗議した。しかし、聞いていた文治は金神の祟りを人間の知恵で忌避する事自体が金神への重大な無礼であったことに気づき、心中で神に詫びたところ声が出て、徐々に病が回復したこと。
- ^ 参拝に来た人の願いを神に伝え、神の意志を人に伝える仲介者としての信仰生活。
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