赤水の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:10 UTC 版)
赤水という地名は室町時代より見え、大隅国向島のうちであった。永享11年(1439年)の島津持久袖判証状の中に見えるのが初見であると考えられている。 天文6年(1537年)には島津勝久が本田董親に向島地頭を任じた際に「赤水」などを宛がった。2年後の天文8年(1539年)に島津貴久によって喜入忠俊へ赤水を宛がったが、弘治3年(1557年)には同じく島津貴久によって樺山幸久に宛がわれた。
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