赤松範行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/06 01:18 UTC 版)
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赤松 範行(あかまつ のりゆき、生年不明- 延徳2年12月(1490年12月))は、室町時代中期の武将。幼名は千代寿丸。赤松氏諸流の春日部家の出身。教貞の子。
康正3年(1457年)父教貞が急死し所領を継承するも長禄4年(1461年)逐電してしまい父の遺跡は叔父貞祐へ移った。その後応仁の乱などを経ながら叔父貞祐・元祐親子と所領などを巡り争った。
文明12年(1480年)9月・10月には、足利義政親子に扈従し幕府に仕えた。
脚注
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