見目清_(初代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 見目清_(初代)の意味・解説 

見目清 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/18 14:21 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

初代 見目 清(けんもく きよし、1848年 11月15日(嘉永元年10月20日[1])- 1904年明治37年)5月17日[2])は、明治期の地主政治家衆議院議員

経歴

下野国塩谷郡太田村[3]栃木県塩谷郡北高根沢村[1][4]を経て現高根沢町)で、代々里正を務めた豪農・見目家、清作の息子として生まれる[1]。水戸藩士に学んで漢学を修めた[1][2][4]。読書に没頭したため祖父・清右衛門にたびたび禁じられた[1]。明治5年(1872年)父が戸長を務めていた時、他者の難を救うため法令に抵触し官憲の追求を受けた際、清が身代わりとして2年間入獄した[1]

その後、地租改正委員[1]、戸長[2]を務め、自由民権運動にも加わった[1]。1883年(明治16年)栃木県会議員に選出され、同常置委員、勧業諮問委員、県徴兵参事員、所得税調査委員などを務めた[1][2][4]

1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙に栃木県第四区から進歩党所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した[2][4]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『衆議院議員候補者列伝』941-942頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』236頁。
  3. ^ a b 『野州名鑑』751頁。
  4. ^ a b c d 『衆議院議員略歴』301頁。

参考文献

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。
  • 『野州名鑑』下野新聞社、1931年。
  • 大久保利夫『衆議院議員候補者列伝 : 一名・帝国名士叢伝 第二編』六法館、1890年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  見目清_(初代)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「見目清_(初代)」の関連用語

見目清_(初代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



見目清_(初代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの見目清 (初代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS