西山古墳 (太田市)とは? わかりやすく解説

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西山古墳 (太田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/23 02:59 UTC 版)

西山古墳

墳丘
(左に後円部・石室開口部、右奥に前方部)
所属 藪塚古墳群
所在地 群馬県太田市藪塚町3519-2(字湯之入)
位置 北緯36度21分44.45秒 東経139度19分1.90秒 / 北緯36.3623472度 東経139.3171944度 / 36.3623472; 139.3171944座標: 北緯36度21分44.45秒 東経139度19分1.90秒 / 北緯36.3623472度 東経139.3171944度 / 36.3623472; 139.3171944
形状 前方後円墳
規模 墳丘長34m
高さ4m(後円部)
埋葬施設 無袖式横穴式石室
出土品 埴輪
築造時期 6世紀
史跡 群馬県指定史跡「藪塚湯之入 北山古墳 西山古墳」
地図
西山古墳
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西山古墳・北山古墳分布図

西山古墳(にしやまこふん)は、群馬県太田市藪塚町にある古墳。形状は前方後円墳。藪塚古墳群を構成する古墳の1つ。北山古墳と合わせて群馬県指定史跡に指定されている(指定名称は「藪塚湯之入 北山古墳 西山古墳」)。

概要

群馬県東部、八王子丘陵から西に伸びる支丘先端部(標高110メートル)に築造された古墳である。北東650メートルの丘陵上には北山古墳が所在し、その間にはかつて多くの古墳(藪塚古墳群)が存在したという。これまでに発掘調査は行われていない。

墳形は前方後円形で、墳丘主軸を丘陵尾根に沿わせ、前方部を東方向に向ける[1]。墳丘外表では埴輪片が検出されているが、葺石は認められていない[1]。埋葬施設は後円部中央における無袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。盗掘に遭っているため、石室内の副葬品は詳らかでない。築造時期は古墳時代後期の6世紀[2](または6世紀後半[3][1])頃と推定される。

古墳域は1949年昭和24年)に北山古墳と合わせて「藪塚湯之入 北山古墳 西山古墳」として群馬県指定史跡に指定された[2]。現在では石室はコンクリート補強のうえで公開されている。

墳丘

墳丘の規模は次の通り[2]

  • 墳丘長:34メートル
  • 後円部
    • 直径:18メートル
    • 高さ:4メートル
  • 前方部
    • 幅:20メートル
    • 高さ:2メートル

埋葬施設

石室俯瞰図
石室展開図

埋葬施設としては無袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模としては、玄室長さ4.56メートル・奥壁幅2.14メートル・中央幅2.20メートル・入り口部幅1.9メートルを測る[1]

石室の石材は地元産の凝灰岩(藪塚石)の割石と自然石で、乱石積みによって構築される[3][1]

文化財

群馬県指定文化財

  • 史跡
    • 藪塚湯之入 北山古墳 西山古墳 - 1949年(昭和24年)12月20日指定[4][2]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e 西山古墳(古墳) 1989.
  2. ^ a b c d 史跡説明板。
  3. ^ a b 西山古墳(平凡社) 1987.
  4. ^ 北山古墳(太田市ホームページ)。

参考文献

関連項目

外部リンク




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