行田八幡神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 神社名 > 行田八幡神社の意味・解説 

行田八幡神社

読み方:ギョウダハチマンジンジャ(gyoudahachimanjinja)

教団 神社本庁

所在 埼玉県行田市

祭神 品陀別命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

行田八幡神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 15:56 UTC 版)

行田八幡神社

拝殿
所在地 埼玉県行田市行田16-23
位置 北緯36度08分20秒 東経139度27分41秒 / 北緯36.13889度 東経139.46139度 / 36.13889; 139.46139 (行田八幡神社)座標: 北緯36度08分20秒 東経139度27分41秒 / 北緯36.13889度 東経139.46139度 / 36.13889; 139.46139 (行田八幡神社)
主祭神 誉田別尊
気長足姫尊
比売大神
大物主神
神素盞鳴尊
社格村社
創建 不詳
別名 封じの宮 西向き八幡 城主八幡
札所等 行田忍城下七福神(大黒天)
例祭 9月15日
地図
行田八幡神社
テンプレートを表示
鳥居と拝殿

行田八幡神社(ぎょうだはちまんじんじゃ)は、埼玉県行田市行田にある神社。行田の総鎮守神社とされている。

歴史

元和宝永弘化の年間における行田町大火の際、再三の類焼の災禍に会い、旧記重宝等を焼失して創建の時期は不明である。口碑によると平安時代中期に源頼義源義家が、奥州討伐のために滞陣した時に、戦勝を祈願して勧請されたと伝えられている。当初、佐間村田中に鎮座し、俗に田中(でんちゅう)八幡と称していた。天文年中に、現在の地に移した時、忍城成田下総守長泰は深く崇敬して社殿を修補し城下総鎮守とした。これより、「城主八幡」また社殿の向きから、「西向き八幡」の名がある。江戸時代には、代々城主の尊崇篤く特に阿部忠秋は、八幡大神の御神像を奉献し、次いで阿部正識も自筆の額を献進した。 社殿の造営は、元和五年再営ののちに宝永年間に焼失、宝永四年に再建、宝永五年には幣殿・拝殿を再建している。弘化三年行田大火で社殿全焼した時、町全体が焼失し、氏子による社の再営が不可能となったため、祀職家が同年本殿を再建した。 現在の社殿は、皇紀二千六百五十年を記念して造営が進められ、平成元年十一月に竣功し、次いで平成十二年には参集殿が竣功した。[1]

祭神

摂末社

行田忍城下七福神の札所である

脚注

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「行田八幡神社」の関連用語

行田八幡神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



行田八幡神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの行田八幡神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS