藤原連貞とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤原連貞の意味・解説 

藤原連貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 02:28 UTC 版)

藤原 連貞(ふじわら の つらさだ、生年不詳 - 天延2年(974年))は、平安時代中期の貴族。名は連真連直とも記される[1]藤原南家上総介・藤原滋茂の子。官位従五位上尾張守

経歴

村上朝初頭に三河権掾を務める。

のち、円融朝にて尾張守に任ぜられるが、天延2年(974年)正月頃より尾張国の百姓らに国司としての非法を訴えられ、5月になって連貞は解任され散位藤原永頼と交替させられた[2]。これは、国司苛政上訴の初見となっている[3][4]。同年中に連貞は卒去したという。

官歴

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原滋茂
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原為章
    • 男子:藤原為元
    • 男子:慶円(944-1019)
    • 女子:藤原典雅室

脚注

  1. ^ 『尊卑分脈』
  2. ^ 『日本紀略』天延2年5月23日条
  3. ^ 続群書類従完成会 2000, p. 63.
  4. ^ 古代オープンデータ”. 2023年12月18日閲覧。
  5. ^ 『大嘗会御禊部類記』
  6. ^ a b 『尊卑分脈』
  7. ^ 『日本紀略』

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  藤原連貞のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原連貞」の関連用語

藤原連貞のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原連貞のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原連貞 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS