藤原綱手とは? わかりやすく解説

藤原綱手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/01 14:14 UTC 版)

藤原 綱手(ふじわら の つなて、8世紀 - 天平12年11月1日740年11月24日))は、奈良時代の廷臣・武人。藤原式家の祖である参議藤原宇合の四男(あるいは五男)。無官位、一説に内舎人

生年は霊亀2年(716年) - 養老6年(722年)頃と推測されている。天平12年(740年)北九州において長兄藤原広嗣の反乱に加わり、筑後国・肥前国等の5000の兵を率いて豊後国から進軍する[1]。しかし乱は大野東人率いる官軍によって敢えなく鎮圧され、捕虜となった綱手は、同年11月1日に肥前国松浦にて広嗣ともども誅殺された[2]。(藤原広嗣の乱

系譜

脚注

  1. ^ 続日本紀』天平12年10月9日条
  2. ^ 『続日本紀』天平12年11月5日条
  3. ^ 宇治谷[1995: 402]

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原綱手」の関連用語

藤原綱手のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原綱手のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原綱手 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS