藤原清岳
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/16 09:48 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動藤原 清岳(ふじわら の きよおか)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての貴族。名は浄岡、清岡とも記される。藤原南家、参議・藤原乙縄の子。官位は従五位下・筑後守。
経歴
天応元年(781年)従五位下に叙爵する。天応2年(782年)の氷上川継の乱、もしくは延暦4年(785年)の藤原種継暗殺事件に連座したらしく、官位剥奪の上で流罪となる。
桓武朝末の延暦24年(805年)に桓武朝で処罰を受けた罪人に対する赦免が行われ、藤原種継暗殺事件で罰せられた藤原雄依、氷上川継の乱で罰せられた山上船主らと共に入京する。翌延暦25年(806年)本位の従五位下に復す。
平城朝の大同3年(808年)典薬頭、大同4年(809年)筑後守に任じられている。
官歴
『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天応元年(781年) 11月15日:従五位下
- 時期不詳:官位剥奪
- 延暦24年(805年) 3月20日:免罪され入京
- 延暦25年(806年) 3月16日:復従五位下
- 大同3年(808年) 7月15日:典薬頭
- 大同4年(809年) 2月13日:筑後守
系譜
『尊卑分脈』による。
- 父:藤原乙縄
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 男子:藤原八釣
出典
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