藤原千常とは? わかりやすく解説

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藤原千常

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 03:26 UTC 版)

 
藤原 千常
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 長和元年6月19日1012年7月10日[1]
別名 知常[2]、田原左衛門尉[1]
戒名 華蔵寺殿野州大守東照常関大禅定門[1]
墓所 下野瓦町御幡堂[1]
官位 従五位下鎮守府将軍
主君 円融天皇
氏族 藤原北家秀郷
父母 父:藤原秀郷、母:源通の娘
兄弟 千時、千晴千常、千国、千種
不詳
文脩千方
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藤原 千常(ふじわら の ちつね/ちづね)は、平安時代中期の貴族武将。名は知常とも記される。藤原北家魚名流、藤原秀郷の子。官位従五位下鎮守府将軍

経歴

安和元年(968年)12月には、信濃国が千常の反乱を朝廷に奏上している[3]安和2年(969年安和の変が発生し兄・千晴が配流となると、秀郷流の嫡子的地位となり[3]、翌安和3年(970年)正月に鎮守府将軍に任ぜられる。天元2年(979年)5月には、前武蔵介であった千常が源肥と合戦に及んだことを下野国が上奏している[3]。のちに左衛門尉[2]美濃守なども務め、小山荘寒河御厨を本領とした。

千常の母は侍従源通女であるが、これは、代々在地豪族との婚姻を通じて勢力の拡大を図った藤原氏が、秀郷の勲功を機に中央軍事貴族としての道を辿り始めたことを表している[3]

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

  1. ^ a b c d 『田原族譜』第4版 山士家左伝
  2. ^ a b 尊卑分脈
  3. ^ a b c d 野口実『坂東武士団の成立と発展』(戎光祥出版、2013年)
参考文献


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