藤原兼俊とは? わかりやすく解説

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藤原兼俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 06:36 UTC 版)

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藤原 兼俊(ふじわら の かねとし、生年不詳 - 明徳元年/元中7年(1390年))は、南北朝時代公家藤原式家従二位・藤原家倫の子。官位正三位式部少輔藤原式家の最後の公卿

経歴

式部少輔を経て、応安6年(1373年従三位に叙せられ公卿に列す。永和4年(1378年正三位に至る。明徳元年(1390年薨去。兼俊の子孫は伝わらず、結果的に兼俊が藤原式家の氏人として最後の公卿となった。

官歴

公卿補任』による。




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