蕭建とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 蕭建の意味・解説 

蕭建

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 09:41 UTC 版)

蕭 建(しょう けん、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。徐州東海郡の人。

事跡

姓名 蕭建
時代 後漢時代
生没年 〔不詳〕
字・別号 〔不詳〕
本貫・出身地等 徐州東海郡
職官 琅邪国相
爵位・号等 -
陣営・所属等 〔独立勢力〕→呂布
家族・一族 〔不詳〕

琅邪国相として莒城を統治していた独立勢力指導者である。建安2年(197年)、徐州へ侵攻してきた袁術呂布が破った後も自立を維持していたが、呂布から降伏勧告の手紙を受け取り服従する。ところが間もなく、開陽の独立勢力指導者臧覇の攻撃を受け、蕭建は莒城を喪失した。

配下に加わった蕭建を攻められて怒った呂布は、臧覇に懲罰を加えようと莒攻撃を目論む。腹心の高順は、「座して畏服させるべきで、戦えば負けた時に名を損なう」と進言して諌めたが、呂布は聞かなかった。結局、臧覇は莒で善戦して呂布を撃退し、後に両者は和解している。

その後の蕭建の行方は不明である。なお、蕭建は小説『三国志演義』に登場しない。

参考文献



このページでは「ウィキペディア」から蕭建を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から蕭建を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から蕭建 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蕭建」の関連用語

蕭建のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蕭建のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蕭建 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS