蒲郡北駅前地下街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 05:31 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動蒲郡北駅前地下街 | |
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地図 | |
店舗概要 | |
所在地 | 愛知県蒲郡市元町地内 |
座標 | 北緯34度49分25.07秒 東経137度13分33.18秒 / 北緯34.8236306度 東経137.2258833度座標: 北緯34度49分25.07秒 東経137度13分33.18秒 / 北緯34.8236306度 東経137.2258833度 |
開業日 | 1967年6月20日[1] |
正式名称 | 蒲郡北駅前地下街 |
施設管理者 | (有)蒲郡地下街外5[1] |
敷地面積 | 384.9 m²[1] |
商業施設面積 | 119.0 m²[1] |
店舗数 | 7店(2017年4月1日時点)[1] |
最寄駅 | 蒲郡駅 |
蒲郡北駅前地下街(がまごおりきたえきまえちかがい)とは愛知県蒲郡市にある地下街である[1][2]。また、付随する地下道についても記述する。
歴史
1967年(昭和42年)6月20日に開業した、蒲郡駅の北側にある単独の地下街である[1][3][4]。総面積384.9m2と非常に小さく、店舗の地下や地下鉄構内に作られたものを除くと日本一短い地下街となる[2][5]。また、人口10万人以下の都市での地下街はここだけである[5][6]。
1969年(昭和44年)1月29日、蒲郡駅新駅舎着工に伴って工事を開始していた地下道の延長部分が開通[7][8]。
1972年(昭和47年)、蒲郡に路線が通ることで分断されていた南北の市街地を繋ぐために、それまでに設置されていた地下道を延長する形で南北地下道が設置された[9][10][11]。2000年代に入って路線が高架となり、2006年には蒲郡駅のコンコースが完成。地下道を使わずとも南北の行き来が可能となったため、南口再開発に伴って2008年までに南北地下道は閉鎖された[11][12]。
年表
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)9月中旬 - 第二期、国鉄蒲郡駅の新駅舎の着工に伴い、地下道を駅舎前まで延長する工事を開始[7]。
- 1969年(昭和44年)1月29日 - 新駅舎竣工、仮運用に伴い、延長部が開通[8]。
- 1972年(昭和47年)
- 2008年(平成20年)3月 - 鉄道高架化事業完了に伴い、南北地下道を閉鎖[12]。
脚注
- ^ a b c d e f g h “蒲郡市地域防災計画・水防計画 資料編(平成30年度修正) 第1 防災上注意すべき自然的・社会的条件 (PDF)”. 蒲郡市. p. 35 (2018年4月1日). 2018年9月14日閲覧。
- ^ a b 知られざる地下街, p. 19.
- ^ “地下街等地下空間利用施設の安全対策等に関する実態調査 結果報告書 (PDF)”. 総務省. p. 17 (2017年12月20日). 2018年9月14日閲覧。
- ^ a b c “広報がまごおり 昭和42年6月 2頁”. 蒲郡市 (1967年6月1日). 2018年9月16日閲覧。
- ^ a b “大都市における地震災害時の安全の確保について (PDF)”. 日本学術会議 (2005年4月21日). 2018年9月14日閲覧。
- ^ 知られざる地下街, p. 25.
- ^ a b “広報がまごおり 昭和43年9月 2頁”. 蒲郡市 (1968年9月15日). 2018年9月16日閲覧。
- ^ a b “広報がまごおり 昭和44年2月 2頁”. 蒲郡市 (1969年2月15日). 2018年9月16日閲覧。
- ^ a b “広報がまごおり 昭和47年3月 2頁”. 蒲郡市 (1972年3月1日). 2018年9月16日閲覧。
- ^ a b “広報がまごおり 昭和47年7月 3頁”. 蒲郡市 (1972年7月15日). 2018年9月16日閲覧。
- ^ a b 大宮冬洋 (2016年8月2日). “端から端まで片道25歩! 日本一短い地下街で働く「看板娘」の熱い告白”. Yahoo!ニュース. 2018年9月14日閲覧。
- ^ a b “広報がまごおり 平成29年6月 10頁”. 蒲郡市 (2017年5月25日). 2018年9月16日閲覧。
参考文献
- 廣井悠、地下街減災研究会『知られざる地下街』河出書房新社、2018年3月9日。ISBN 9784309227283。
外部リンク
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