葭原滋男とは? わかりやすく解説

葭原滋男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/21 05:35 UTC 版)

獲得メダル
日本
男子 自転車競技
パラリンピック
2000 シドニー 1kmTT(B1-3)
2000 シドニー スプリント(B1-3)
2004 アテネ スプリント(B1-3)
陸上競技
パラリンピック
1996 アトランタ 走高跳(F10-11)

葭原 滋男(よしはら しげお、1962年11月23日 - )は、パラリンピック陸上競技及び自転車競技のメダリスト。埼玉県鶴ヶ島市出身(出生:東京都杉並区)。

経歴

埼玉県鶴ヶ島町立(現:市立)第2小学校、鶴ヶ島町(現:市)立中学校、埼玉県立小川高等学校、学校法人神田外語学院卒業。

10歳の頃に網膜色素変性症が発覚、22歳の時に、障害者認定、40歳過ぎから白杖を使用し始め、現在は光覚弁(光が見える程度)の残存視力あり。

株式会社泰運紹介で1年間の勤務後、国立身体障碍者リハビリテーションセンターで、あん摩・マッサージ・指圧師、鍼師、灸師の免許を取得。

その後、東京都職員として28年間勤務、参天製薬株式会社を経て、現在は株式会社mitsukiに勤務。

2020年より、静岡県立静岡文化芸術大学の非常勤講師として、夏季集中講座「視覚に頼らないユニバーサルデザイン」を小浜教授と担当している。

1992年開催のバルセロナパラリンピック、陸上競技・走り高跳び(視覚障害者部門・F10-11)に出場し4位。1996年開催のアトランタパラリンピックでも同種目に出場して銅メダルを獲得した。1994年開催 ジャパン・パラリンピックで樹立した走り高跳び 181cmは、2025年7現在の視覚障害者部門の日本記録。

1998年、知人の紹介で、自転車実業団チームである「スミタラバネロパールイズミ」に在籍することになり、自転車競技へと転向。2000年開催のシドニーパラリンピックでは、同チーム所属の水沢耕一とコンビを組み、1kmタイムトライアルとスプリント(いずれも視覚障害者部門であるB1-3)に出場。1kmタイムトライアルでは、1分4秒950の世界新記録(当時)をマークして金メダル。またスプリントでは銀メダルを獲得。2004年のアテネパラリンピックでは、同チーム所属の大木卓也とコンビを組み、スプリント(B1-3)に出場して銀メダルを獲得した。

また2000年の朝日スポーツ賞を受賞している。

その後、ブラインドサッカーに転向、2007年から2011年まで日本代表メンバーに召集される。2009年、東京で開催されたアジア選手権では対マレーシアでハットトリックを達成。PK職人と呼ばれた。

2011年には、ブラインドサッカーチーム「乃木坂ナイツ」を立ち上げ指導者としても活動。

2025年6月1日開催ブラサカ地域リーグ中日本エリア、対ツエーゲン金澤BFCにて最年長ゴールを決めるなど、今なお現役選手として活動している。

その後、ブラインドスポーツクラブとして活動の場を広げ、ブラインドサッカーのほか、ゴールボール、ブラインドスキー、ブラインドサーフィン、タンデムサイクリングなど様々なスポーツにチャレンジしている。

パラ応援大使(東京都が推進するプロジェクトの一環で、パラスポーツの振興とバリアフリー推進を目的とした活動に協力する著名人や専門家、パラアスリート)のひとり。

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