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葉選寧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/24 04:32 UTC 版)

葉 選寧
葉選寧
第九期中国人民政治協商会議常務委員
任期
1998年3月3日 – 2003年3月3日
主席 李瑞環
第八期中国人民政治協商会議委員
任期
1993年3月3日 – 1998年3月3日
中国人民解放軍総政治部聯絡部部長
任期
1990年6月 – 1998年10月
前任者 金黎
後任者 梁宏昌
個人情報
生誕 1938年10月
イギリス領香港
死没 2016年7月10日(77歳)
中華人民共和国 広東省広州市
国籍 中華人民共和国
政党 中国共産党
配偶者 銭寧戈
親戚 葉選平
葉選廉
子供 葉弘
葉静子
葉剣英
曽憲植
出身校 北京理工大学
職業 政治家、書家、起業家
兵役経験
所属国  中国
所属組織  中国人民解放軍陸軍
軍歴 1984年-1997年
最終階級 少将

葉 選寧(よう せんねい、1938年10月 - 2016年7月10日)は、中華人民共和国の政治家。あだ名は葉三、ペンネームは岳楓である。中国人民解放軍の元老葉剣英の次男である[1]。いわゆる太子党の1人。香港生まれで、本籍地は広東省梅県書道家として草書が得意である[2]

略歴

曽国藩故居(母方の祖母の生家)

本籍地は広東省梅県で、1938年10月に英領香港に生まれた。彼は湖南省にある母方の祖母の生家(曽国藩故居)で育てられた。1950年に家族とともに北京市に移住した。

1958年9月にハルビン軍事工程学院(現在のハルビン工程大学)に入学し、体調不良のために学校を休んだ。1960年に北京工業学院(現在の北京理工大学)無線電電子工程系を卒業した。卒業後は湖南省株洲市無線電元件廠の実習生となり、江西省上饒市にも派遣されていた。1974年に右腕は職場での事故で切断された。

1974年に政界入りし、国務院僑務事務辦公室副組長、副司長などを歴任し、1978年に国務院経済委員会弁公庁庁長の康世恩秘書となった。

1980年にビジネス界に入り、滄浪咨詢公司の社長となった。1984年に中国国際友好聯絡会の副会長となり、同年に中国人民解放軍に入隊した。1988年9月に少将階級を授与された。1990年に中国人民解放軍総政治部聯絡部の部長となった。

1993年に中国凱利実業有限公司の社長となった。1997年に復員した。

2016年7月10日、肺癌のために広東省広州市の中山病院で死去。77歳没。

家族

  • 父:葉剣英
  • 母:曽憲植(曽国荃の子孫)
  • 妻:銭寧戈。画家、銭益民の娘
  • 子:葉弘
  • 娘:葉静子。王震の孫である王京陽の妻。
  • 腹違いの兄:葉選平
  • 腹違いの弟:葉選廉

脚注




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