萬福寺_(豊田市)とは? わかりやすく解説

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萬福寺 (豊田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 13:28 UTC 版)

萬福寺
所在地 愛知県豊田市大林町3-183
位置 北緯35度02分58.4秒 東経137度08分15.4秒 / 北緯35.049556度 東経137.137611度 / 35.049556; 137.137611座標: 北緯35度02分58.4秒 東経137度08分15.4秒 / 北緯35.049556度 東経137.137611度 / 35.049556; 137.137611
山号 大林山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 天正元年(1573年)
開基 大誉露公上人
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萬福寺(まんぷくじ、万福寺)は、愛知県豊田市大林町3-183にある浄土宗寺院[1]山号は大林山[1]。本尊は阿弥陀如来[1]

歴史

近世

もともと碧海郡大林村には善如院があったが火災で焼失した[1][2]。天正元年(1573年)、東国から大誉露公上人が訪れて大林山萬福寺を創建した[1][2]

2世は法燈であり、3世は法誉春三である[1]。京都・知恩院の直末寺である[1]。本堂の建立年は定かでないが、虹梁の絵様形式から推測すると天保年間(1830年~1843年)頃であり、口伝によると伊勢国松阪から移築したものという[2]

安政年間(1855年~1860年)、寿誉貞本法尼が江戸の寶松院から阿弥陀如来を勧請して成就律寺を創建した。成就律寺は萬福寺の末寺である[1]

近代・現代

1912年(明治45年)には枝下用水を開削した西澤真蔵の顕彰碑が建立された[3]。豊田市では約15か所に西澤真蔵の顕彰碑が建立されている[3]

境内

  • 本堂 - 天保年間(1830年~1843年)頃の建立と推測されている。
  • 庫裏
  • 鐘楼
  • 山門 - 四脚門。
  • 手水舎
  • 石碑「故西澤真蔵氏碑」

現地情報

所在地
アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 高岡町誌編纂委員会『高岡町誌』豊田市教育委員会、1968年、p.387
  2. ^ a b c 『豊田市の寺社建築 3 浄土宗寺院』豊田市教育委員会、1998年、pp.203-206
  3. ^ a b 天野博之「水神になった商人 西澤真蔵と枝下用水」『Rio』豊田市矢作川研究所、118号、2008年4月号

参考文献

  • 『豊田市の寺社建築 3 浄土宗寺院』豊田市教育委員会、1998年
  • 高岡町誌編纂委員会『高岡町誌』豊田市教育委員会、1968年

外部リンク




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