荻野康児
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 10:12 UTC 版)
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荻野 康児(おぎの こうじ、1897年3月10日 - 1974年6月19日)は、昭和期の洋画家・水彩画家。神奈川県横浜市生まれ。
経歴
京都美術工芸学校で日本画を学ぶが中退し、20歳のとき上京。洋画に転向し、太平洋画会・川端画学校で油絵を研修する。
その後、水彩画をメインに活動を展開し、日本を代表する水彩画家の一人として活躍。
日本水彩画会・白日会・水彩連盟(創立者の一人)・二科会等の会員を経て、1955年(昭和30年)には同士と共に一陽会を結成。
1974年(昭和44年)、癌性腹膜炎のため東京都杉並区の自宅で死去。72歳[1][2]。
脚注
- ^ 東文研アーカイブデータベース
- ^ 訃報欄『朝日新聞』昭和44年(1974年)6月20日朝刊、13版、19面
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