芳賀高勝殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 00:05 UTC 版)
「永正の内訌 (下野宇都宮氏)」の記事における「芳賀高勝殺害」の解説
永正9年(1512年)4月、宇都宮成綱は増長甚だしい芳賀高勝を殺害する。これによって芳賀氏が大反乱を起こし、宇都宮錯乱と呼ばれる大きな内紛へと発展した。増長し続けてきた芳賀氏の勢力は、宇都宮氏に匹敵するものにまでなっていたという。娘婿の足利高基や義弟の結城政朝の支援や重臣の壬生綱重の活躍によって2年ほどで鎮圧することに成功した。これによって芳賀氏を宇都宮成綱を頂点とする支配体制へと組み込むことに成功し、下野国小山に逃れてきた古河公方足利政氏の背後を脅かすことに成功している。
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