船湊守
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 05:09 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動船 湊守(ふね の みなともり)は、平安時代初期の官人。姓は連。大仁・船王後の後裔で、左大史・船磯成の子とする系図がある[1]。官位は外正五位下・大外記。
経歴
嵯峨朝前半に少外記を務め、弘仁7年(816年)従六位下から四階昇進して外位の従五位下に叙せられると共に、大外記に昇格する。弘仁10年(819年)には石見守として地方官に転じた。
淳和朝の天長3年(826年)二階昇進して外位ながら正五位下に叙せられ、翌天長4年(827年)大外記に復任、これを天長6年(829年)頃まで務めた[2]。
官歴
注記のないものは『日本後紀』による。
- 弘仁3年(812年)12月28日:見少外記[3]
- 時期不詳:従六位下
- 弘仁7年(816年)正月7日:外従五位下。正月10日:大外記[2]
- 弘仁10年(819年)9月4日:石見守[2]
- 天長3年(826年)正月7日:外正五位下
- 天長4年(827年)3月9日:大外記[2]
脚注
参考文献
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