自らへの退屈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:27 UTC 版)
以上の2種類の退屈に加えて、さらに根本的な退屈がある。すなわち、「ひとがみずからに対しておのずから退屈する」ことである。ふだんなら彼の活動に意味を与えてくれるものが周りにいくらでもあるのに、もはや目的ある時間性の中に一切なにも組み込まれることができなくなるのである。そのうち日常的活動に立ち返って目的ある時間性を再発見できるだろうとははっきりわかっているが、それでも、一切なにをする気にもなれないという欲望の不在に呑み込まれてしまう。それどころか、みずからをとことん嫌悪し、絶望のあげくみずからの生きる時間を空虚と感じるまでになる。このばあい厄介なのは活動対象ではなく、目的の欠如としたがって意味の欠如にさいなまれている自己自身なのである。
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