聖マルガリタ_(修道士処女伝説)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 聖マルガリタ_(修道士処女伝説)の意味・解説 

聖マルガリタ (修道士処女伝説)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/11 16:10 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

聖マルガリタ: Sancta Margarita、生没年不詳)は、キリスト教の伝承上の聖人である。同名の聖人としてアンティオキアのマルガリタなどが知られる。

背景

修道士処女(モナコパルテノス)と呼ばれる物語には、マリーナペラギアマルガリタの名が頻出する[1]。マルガリタが実在した記録は残されておらず、このマルガリタは修道士処女の伝承の中で作られた聖人とされる[1]。これらの聖人伝には類似点が多くみられ、後述する聖人伝中でマルガリタはペラギウス[注 1]を名乗るが、修道士として贖罪した聖ペラギア[注 2]の聖人伝中においてもマルガリタと呼ばれていたとの記載がある[3]。同じく男装した修道士として暮らした聖マリーナの聖人伝とも物語上の共通点[注 3]が見られる。しばしばこれらの聖人は同一視される[注 4][注 5]

聖人伝

マルガリタは裕福で高貴な美しい乙女であった。マルガリタは貴族の青年と結婚することになったが、結婚式の夜に純潔の栄光を願って髪を切り男装して出奔した。マルガリタは遠く離れた修道院にたどり着くと修道士ペラギウスと名乗り、修道院で勉強することとなった。ペラギウスはその敬虔さと清らかさのために、女子修道院の修道院長に推薦されて務めることとなった。

悪魔はペラギウスを貶めるために、ある修道女を誘惑し妊娠させた。その立場上、いつでも修道女との密会の機会があったペラギウスは、修道士からも修道女からも疑われることとなり、裁判なしに有罪とされた。ペラギウスは修道院を追放され、洞窟に幽閉された。ペラギウスには毎日ひとつの小さなパンと少しの水が与えられるだけだったが、洞窟の中で変わらず神に感謝を捧げ続けた。

そのうちに自分の命が尽きることを悟ったペラギウスは、修道院長と修道士たちに充てて手紙を残した。手紙には俗世ではマルガリタと呼ばれていたこと、修道女たちの手で埋葬をしてほしいこと、修道女によってマルガリタの純潔が証明されるであろうことが書かれていた。手紙を読んだ修道士たちは修道女たちとともに洞窟に向かった。修道女たちはペラギウスを名乗るマルガリタが生娘であったことを知った。修道士と修道女たちは贖罪しマルガリタは女子修道院に埋葬されたここまで[7]

脚注

注釈

  1. ^ ペラギウスはペラギアの男性形[1]
  2. ^ このペラギアは男装し、修道士ペラギウスを名乗り贖罪して暮らした[2]
  3. ^ マリーナは聖人伝において、男装し修道士となり、淫蕩の結果の子を作ったと疑われ、修道院から追放されたと伝えられている[4]
  4. ^ Oxford Dictionary of SaintではMarinaの項は"Marina, see Margaret of Antioch."とされ、単体の項さえ持たない[5]
  5. ^ 助祭ヤコボスの『ペラギア伝』ではペラギアはマルガリタまたはマリナと名乗っていた踊り子とされている[6]

出典

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「聖マルガリタ_(修道士処女伝説)」の関連用語

聖マルガリタ_(修道士処女伝説)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



聖マルガリタ_(修道士処女伝説)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの聖マルガリタ (修道士処女伝説) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS