紫藤南天とは? わかりやすく解説

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紫藤南天

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/09 03:19 UTC 版)

紫藤 南天
生誕 不詳
死没 不詳
国籍 日本
職業 漫画家
活動期間 明治・大正年間
ジャンル 政治漫画・風刺画
サイン
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紫藤 南天(しとうなんてん、生没年不詳[1])は日本の漫画家。明治から大正にかけて風刺漫画を多く手掛けた。

概要

生年不詳[1]。18歳か19歳の頃に漫画を描き始め、その作品が北澤楽天に認められる[2]。以降、楽天門下の漫画家として政治漫画・風刺漫画を手掛け、明治末期から大正中期に『時事新報』『東京パック』などで活躍した[1][2][3]。特に1912年(大正元年)の時事新報紙面には、ほぼ毎号、紙面のスペースを大きくとって紫藤の漫画が掲載された[3]。「NAN」という署名を用いた[3]

1923年には第八回漫画展(東京漫画会)に「クヰーンの朝」と題する裸足で階段を掃除する女給の漫画を出展しており、岡本一平などの作品と共に「階級意識や社會意識を取り扱つたのなぞ注目に價する」と評されている[4]

その後、紫藤は子供漫画に活動の場を移す[1]。1948年(昭和23年)には三心社から『怪星探検』、『謎の怪盗』という漫画を出版していることが記録されている[5][6]

脚注

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  1. ^ a b c d 清水 1989, p. 240.
  2. ^ a b 伊藤 1980, pp. 47-48.
  3. ^ a b c 伊藤 1980, pp. 43-47.
  4. ^ 朝日新聞 1923.
  5. ^ 清水 1989, p. 205.
  6. ^ 謎の怪盗 : 探偵漫画』 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2018年1月26日閲覧。

参考文献

  • 伊藤逸平 『日本新聞漫画史』 造形社、東京、1980年6月20日、1(日本語)。全国書誌番号:81012458
  • 清水勲 『「漫画少年」と赤本マンガ:戦後マンガの誕生』 ZΩION社、東京、1989年11月25日、1(日本語)。全国書誌番号:90048289
  • “第八回漫画展と第二回俳画展”. 東京朝日新聞 (東京): p. 6. (1923年1月28日). 全国書誌番号:00060182、2018年1月26日聞蔵Ⅱビジュアルで閲覧。 



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