橐離国
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橐離国(たくりこく、朝鮮語: 고리국)は、夫余の建国者である東明王が誕生した国である[1]。橐離国は、夫余の北に位置するとされる[2]。
- ^ 赤羽目匡由 『渤海王国の政治と社会』吉川弘文館、2011年10月13日、90頁。ISBN 978-4642081504。
- ^ 赤羽目匡由 『渤海王国の政治と社会』吉川弘文館、2011年10月13日、92頁。ISBN 978-4642081504。
- ^ 李成市 『古代東アジアの民族と国家』岩波書店、1998年3月25日、76頁。ISBN 978-4000029032。
- ^ 内藤湖南 『東北亜細亜諸国の開闢伝説』〈民族と歴史一 - 四〉1919年4月。"東北アジア諸国、すなわち東部蒙古より以東の各民族は、朝鮮・日本へかけて一の共通せる開国伝説をもっている。すなわち太陽もしくは何か或る物の霊気に感じて、処女が子を生み、それが国の元祖となったという説であって、時としてはその伝説が変形して、その内の一部分が失われ、もしくは他の部分が附加さるるという事があるけれども、その系統を考えると、だいたいにおいて一つの伝説の分化したものであるということを推断する事が出来る。その最も古く現れたのは、夫余国の開闢説であって、その記された書は王充の『論衡』である。『論衡』は西暦一世紀頃にできた書であるが、その吉験篇に、「北夷橐離國王侍婢有娠,王欲殺之。婢對曰。有氣大如雞子,從天而下,我故有娠。後產子,捐於豬溷中,豬以口氣噓之,不死。復徙置馬欄中,欲使馬借殺之,馬復以口氣噓之,不死。王疑以為天子,令其母收取奴畜之,名東明,令牧牛馬。東明善射,王恐奪其國也,欲殺之。東明走,南至掩水,以弓擊水,魚鱉浮為橋。東明得渡,魚鱉解散,追兵不得渡,因都王夫餘。故北夷有夫餘國焉。」とある。『三国志』の夫余伝に『魏略』を引いてあるのも、ほぼこれと同じ事で、『後漢書』の夫余伝も、文はやや異なるけれども、事は同じである。この中に橐離国とあるはダフール種族の事である。松花江に流れ込む河にノンニーという河があり、それと合流する河にタオル河がある(ノンニー河は嫩江(一名諾尼江)、タオル河は洮児江を指す)。そのタオル河附近に居住した民族がすなわちダフール種族で、すなわち橐離国である。また夫余国というのは、今日の長春辺から西北に向って存在した国で、この伝説はダフール、夫余両国に関係したものである。"。
- ^ a b 赤羽目匡由 『渤海王国の政治と社会』吉川弘文館、2011年10月13日、110頁。ISBN 978-4642081504。
- ^ a b 田中俊明 『『魏志』東夷伝訳註初稿(1)』〈国立歴史民俗博物館研究報告 151〉国立歴史民俗博物館、2009年3月31日、379-380頁。
- ^ a b c d 佃収 『倭人のルーツと渤海沿岸』〈「古代史の復元」シリーズ〉星雲社、1997年12月1日、233頁。ISBN 4795274975。
- ^ 佃収 『倭人のルーツと渤海沿岸』〈「古代史の復元」シリーズ〉星雲社、1997年12月1日、234頁。ISBN 4795274975。
- ^ a b c d 佃収 『倭人のルーツと渤海沿岸』〈「古代史の復元」シリーズ〉星雲社、1997年12月1日、228-230頁。ISBN 4795274975。
[続きの解説]
「橐離国」の続きの解説一覧
- 1 橐離国とは
- 2 橐離国の概要
- 3 百済と橐離国(ダウール族)との関係
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