等々力の地名由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 00:35 UTC 版)
安曇野市穂高には、「等々力(とどりき)」と「等々力町(とどりきまち)」の二つの地籍が見える。両地籍は、もともと穂高川の右岸に沿って連続した一村であったが、天正年間に分村した。 等々力(とどりき、とどろき)という地名は、甲斐国等々力郷(とどろきごう)をはじめ全国にいくつかみられる。薩摩、阿波等では「轟」、下野では「登々呂木」の用字が使われており、それらは滝や沢の音(轟く)、あるいは水が停滞する場所(滞る)など、水と関係した地名のように考えられる。当地の等々力(とどりき)は、穂高川と中曽根川(旧扉川)の自然堤防上に発達した集落で、後背に鳥川の自然流である本沢等のかかる水田地帯をひかえ、縄文土器が出土していることから、古くから開発されたことが伺える。
※この「等々力の地名由来」の解説は、「等々力家」の解説の一部です。
「等々力の地名由来」を含む「等々力家」の記事については、「等々力家」の概要を参照ください。
- 等々力の地名由来のページへのリンク