第40装甲擲弾兵旅団 (ドイツ連邦陸軍)とは? わかりやすく解説

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第40装甲擲弾兵旅団 (ドイツ連邦陸軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/06/17 15:28 UTC 版)

第40装甲擲弾兵旅団
創設 1991年7月1日
廃止 2002年9月30日
所属政体 ドイツ
所属組織 ドイツ連邦陸軍
部隊編制単位 旅団
上級単位 第14装甲擲弾兵師団
最終位置 メクレンブルク=フォアポンメルン州 ハーゲノー
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第40装甲擲弾兵旅団(だい40そうこうてきだんへいりょだん、ドイツ語Panzergrenadierbrigade 40)は、ドイツ連邦陸軍旅団の一つ。

目次

歴史

1990年ドイツ民主共和国国家人民軍地上軍(東ドイツ陸軍)の第8自動車化狙撃師団を母体に第40郷土防衛旅団が新編された。第27自動車化狙撃連隊(シュテルン=ブッフホルツ)、第29自動車化狙撃連隊(ハーゲノー)、1個工兵大隊と1個偵察大隊(ハーゲノー)、後方支援部隊(カロー)、ロケット砲部隊(ゴールドベルク)および砲兵連隊(ロストック)が再編成の対象となった。当初の旅団は第8防衛管区司令部 / 師団の隷下にあった。1995年に防衛管区と郷土防衛旅団はそれぞれ第8防衛管区司令部 / 第14装甲擲弾兵師団第40装甲擲弾兵旅団に改称される。1997年に第14装甲擲弾兵師団の所属となる。1997年時点の旅団の編成は以下のとおりであった。

  • 第403戦車大隊 在ステルン・ブッフフォルツ
  • 第404戦車大隊 在ステルン・ブッフフォルツ
  • 第401装甲擲弾兵大隊 在ハーゲノー
  • 第402装甲擲弾兵大隊 在ハーゲノー
  • 第400駆逐戦車中隊 在ステルン・ブッフフォルツ
  • 第400装甲工兵大隊 在ハーゲノー
  • 第405装甲砲兵大隊 在ダベル

2002年9月30日に旅団は解隊され、未処理の部隊は第41装甲擲弾兵旅団への配転をもって解決される。

歴代旅団長

氏名 着任 離任
1 ラインハルト・ライヘルム陸軍大佐
Reinhard Reichhelm
1991年7月1日 1995年3月31日
2 ウォルフガング・ザウアー陸軍准将
Wolfgang Sauer
1995年4月1日 1999年8月
3 フォルカー・ヴィーカー陸軍准将
Volker Wieker
1999年9月 2002年9月30日

脚注

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