第38装甲擲弾兵旅団 (ドイツ連邦陸軍)とは? わかりやすく解説

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第38装甲擲弾兵旅団 (ドイツ連邦陸軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/06/17 15:30 UTC 版)

第38装甲擲弾兵旅団
創設 1991年4月1日
廃止 2002年12月20日
所属政体 ドイツ
所属組織 ドイツ連邦陸軍
部隊編制単位 旅団
上級単位 第13装甲擲弾兵師団
最終位置 ザクセン=アンハルト州 ヴァイセンフェルス
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第38装甲擲弾兵旅団「ザクセン=アンハルト」(だい38そうこうてきだんへいりょだん、ドイツ語Panzergrenadierbrigade 38 "Sachsen-Anhalt")は、ドイツ連邦陸軍旅団の一つ。第13装甲擲弾兵師団隷下にあり、司令部をヴァイセンフェルスに置き、2002年に解隊した。旅団の部隊はザクセン=アンハルト州テューリンゲン州に駐屯していた。

目次

歴史

1991年ドイツ民主共和国国家人民軍地上軍(東ドイツ陸軍)第1自動車化狙撃師団を母体に第38郷土防衛旅団が新編される。旅団の愛称には「ザクセン=アンハルト」が与えられた。1991年内に旅団司令部がヴァイセンフェルスに移転される。1995年第38装甲擲弾兵旅団に改称された。

1999年に旅団の一部はボスニア・ヘルツェゴビナでの平和安定化部隊(SFOR)に派遣される。旅団が解散される直前の2001年から2002年までにもバルカン諸国に派遣されている。旅団の解散に伴い隷下部隊の第380装甲工兵中隊、第381装甲擲弾兵大隊および第385装甲工兵大隊が解隊された。第383戦車大隊は第12装甲旅団に配転され、同大隊は2007年6月30日に解隊している。旅団は2002年12月20日に正式に解隊される。

旅団の編成は以下のとおりであった。

  • 旅団司令部中隊 在ヴァイセンフェルス
  • 第381装甲擲弾兵大隊 在バート・フランケンハウゼン/キフホイザー
  • 第383戦車大隊 在バート・フランケンハウゼン/キフホイザー
  • 第385装甲砲兵大隊 在ヴァイセンフェルス
  • 第380装甲工兵中隊 在ヴァイセンフェルス
  • 第380装甲偵察中隊 在ゴータ
  • 第380駆逐戦車中隊 在ヴァイセンフェルス(1995年まで)

他にも、第381装甲擲弾兵大隊、第384戦車大隊(バート・フランケンハウゼン)および第380野戦予備中隊の様に半現役化していた部隊もあった。

歴代旅団長

氏名 着任 離任
1 フリッツ・エッカート陸軍准将
Fritz Eckert
1990年12月1日 1991年7月23日
2 クリスチャン・ミロタット陸軍大佐
Christian Millotat
1991年7月1日 1994年3月31日
3 ロルフ・シュナイダー陸軍大佐
Rolf Schneider
1994年4月1日 1994年12月31日
4 ペーター・ネーゲル陸軍大佐
Peter Nagel
1995年1月4日 1998年9月25日
5 アロイス・バッハ陸軍大佐
Alois Bach
1998年9月25日 2002年12月31日  

脚注

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