第三玄菟郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 02:40 UTC 版)
107年(永初元年)になると、玄菟郡はさらに西に移転し遼東郡の内部に移された。遼東郡北部都尉の管轄区を遼東郡から切り離して新しく玄菟郡とし、遼東郡に隣接していた旧玄菟郡を廃止、高句麗による領有を許可した。これにより、旧玄菟郡の領域はすべて放棄された。郡治の高句麗県は現在の瀋陽(瀋陽と撫順の中間からやや瀋陽寄り)に遷された。諸県のうち、高句麗県・上殷台県・西蓋馬県の3県は、元々は玄菟郡にあった諸県の県名を移動させてきたものの残滓である。戸数は4万5006、口数は22万1845人。
※この「第三玄菟郡」の解説は、「玄菟郡」の解説の一部です。
「第三玄菟郡」を含む「玄菟郡」の記事については、「玄菟郡」の概要を参照ください。
- 第三玄菟郡のページへのリンク