竇牟とは? わかりやすく解説

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竇牟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 06:20 UTC 版)

竇 牟(とう ぼう、749年 - 822年)は、唐代官僚詩人は貽周[1][2]本貫京兆府金城県[3]。兄は竇常。弟は竇羣・竇庠・竇鞏

経歴

代宗朝の左拾遺の竇叔向の子として生まれた。同昌郡司馬の竇亶の孫にあたる[4][3]貞元2年(786年)、進士に及第し、校書郎・東都留守巡官に試用された。河陽節度使や昭義軍節度使の従事を歴任した。検校水部郎中となり、緋魚袋を賜り、東都留守判官をつとめた。入朝して都官郎中となり、沢州刺史として出向した。入朝して国子祭酒となった。長慶2年(822年)、死去した。享年は74[1][2]

子の竇周余は大中年間に秘書監となった[1]

脚注

  1. ^ a b c 旧唐書 1975, p. 4122.
  2. ^ a b 新唐書 1975, p. 5245.
  3. ^ a b 新唐書 1975, p. 5243.
  4. ^ 旧唐書 1975, p. 4120.

伝記資料

参考文献




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