竇牟
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竇 牟(とう ぼう、749年 - 822年)は、唐代の官僚・詩人。字は貽周[1][2]。本貫は京兆府金城県[3]。兄は竇常。弟は竇羣・竇庠・竇鞏。
経歴
代宗朝の左拾遺の竇叔向の子として生まれた。同昌郡司馬の竇亶の孫にあたる[4][3]。貞元2年(786年)、進士に及第し、校書郎・東都留守巡官に試用された。河陽節度使や昭義軍節度使の従事を歴任した。検校水部郎中となり、緋魚袋を賜り、東都留守判官をつとめた。入朝して都官郎中となり、沢州刺史として出向した。入朝して国子祭酒となった。長慶2年(822年)、死去した。享年は74[1][2]。
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。 ISBN 7-101-00320-6。
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