窪田欣也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/01 23:29 UTC 版)
基本情報 | |
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出身地 | 愛媛県 |
生年月日 | 1948年 |
身長 体重 |
172 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴
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監督歴
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この表について
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窪田 欣也(くぼた きんや、1948年 - )は、愛媛県出身の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは外野手。
来歴・人物
松山商業高校では、2年生エース西本明和を擁し、1965年の夏の甲子園予選北四国大会決勝に進出。高松商業高校と対戦し、西本と小坂敏彦投手の投手戦となるが、1-2で惜敗し甲子園出場を逸する[1][2]。
卒業後は亜細亜大学へ進学。東都大学野球リーグでは、主に左翼手を務め、1969年秋季リーグではベストナインに選ばれた。
大学卒業後は丸善石油に入社し、主将を務め、主に中堅手として活躍。1970年のドラフト会議で近鉄バファローズから4位指名されたが、入団を拒否[3]。
引退後は丸善石油の監督を経て、1982年から[4]1988年春季まで母校である松山商の監督を務め、甲子園に4度出場、1986年の第68回選手権大会では準優勝した。
脚注
- ^ “「紫雲会」高松商業(高商)同窓会 - 紫雲会ニュース”. www.siunkai.org. 2020年6月22日閲覧。
- ^ “香川県高等学校野球連盟:讃岐球児の歩み”. kagawa-hbf.la.coocan.jp. 2020年6月22日閲覧。
- ^ “過去のドラフト 第6回(1970年) - ドラフト会議 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年6月22日閲覧。
- ^ 毎日新聞縮刷版p251 昭和59年3月8日朝刊19面「56センバツいま32校は…☆14 洗練された伝統の重み」
関連項目
- 窪田欣也のページへのリンク