稲富宏樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 19:57 UTC 版)
![]() 2024年5月25日ベルーナドーム | |
基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | 大阪府寝屋川市 |
生年月日 | 1999年4月27日(25歳) |
身長 体重 |
178 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2017年 育成選手ドラフト1位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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稲富 宏樹(いなとみ ひろき、1999年4月27日 - )は、大阪府寝屋川市出身[1]の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。プロでは育成選手であった。2022年からはオリックス・バファローズのブルペン捕手を務める。
経歴
プロ入り前
小学5年時に野球を始める。三田松聖高等学校に入学し野球部で寮生活を始めると、1年春から捕手のレギュラーを獲得[1]。しかし5月頃から身体に湿疹が出て痒みや痛みに襲われるようになり、血液検査の結果紫外線およびカモガヤに対するアレルギーと診断された[1]。慣れない寮生活やレギュラーの重圧からくるストレスが発症の引き金になったとされ[1]、医師からは屋外での運動である野球は止めた方がよいと進言された[2][3]。強い光の中では意識が遠のくほどの症状が出ることもあったが[1][3]、母親の支えやチームメイトの理解を得て野球を続け、2年秋からは主将に就いた。3年夏(2017年)の兵庫県大会はベスト16で報徳学園に敗れた[2][4]。
2017年度プロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズから育成選手ドラフト1位指名を受け[5]、支度金300万円・年俸250万円(推定)の条件で契約を結んだ。背番号は123となった[2]。
プロ入り後
2018年シーズン終了後に、アジアウインターベースボールリーグのNPBウエスタン選抜に選出された[6]。
2021年10月5日、オリックス球団から戦力外通告を受け[7]、現役を引退した[8]。
現役引退後
2022年1月8日、ブルペン捕手への転身が発表された[9]。
選手としての特徴・人物
強肩に加えて捕球から送球へのスムーズさで二塁送球は1.8秒台を記録し、またスローイングの柔らかさも評価されてのプロ入りとなった[2][5]。
愛称は「トミー」[10]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 123(2018年 - 2021年)
- 108(2022年 - ) ※ブルペン捕手
脚注
- ^ a b c d e “紫外線アレルギーの球児 「ボール見えない」泣いた日も”. 朝日新聞 (2017年7月6日). 2018年10月4日閲覧。
- ^ a b c d “背番号123 紫外線アレルギー乗り越えプロ野球選手に”. 朝日新聞 (2017年11月21日). 2018年10月4日閲覧。
- ^ a b “紫外線アレルギー克服、プロの舞台へ オリ育成1位三田松聖高・稲富さん 「同じ病気で苦しむ人に勇気」”. 産経WEST (2017年11月18日). 2018年10月4日閲覧。
- ^ “第99回全国高校野球選手権兵庫大会> 報徳学園―三田松聖(5回戦)”. バーチャル高校野球 (2017年7月23日). 2018年10月4日閲覧。
- ^ a b “2017年度ドラフト会議 契約交渉権獲得選手”. オリックス・バファローズ (2017年10月26日). 2018年10月4日閲覧。
- ^ “「2018アジアウインターベースボールリーグ」にオリックス5選手が参加”. オリックス・バファローズ (2018年10月22日). 2019年2月16日閲覧。
- ^ “オリックスが13年ドラ1の吉田一将ら8選手に戦力外通告 榊原翼、荒西祐大も”. Full-Count (2021年10月5日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ “オリックス戦力外の稲富宏樹がブルペン捕手転身 17年育成ドラフト1位”. 日刊スポーツ (2021年12月9日). 2022年1月8日閲覧。
- ^ “オリックス稲富宏樹氏がブルペン捕手、久保聖也氏が打撃投手に”. 日刊スポーツ (2022年1月8日). 2021年1月8日閲覧。
- ^ “123 稲富 宏樹 選手名鑑2019|オリックス・バファローズ”. オリックス・バファローズ オフィシャルサイト. 2021年11月15日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 稲富宏樹のページへのリンク