福田寺 (京都市下京区)とは? わかりやすく解説

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福田寺 (京都市下京区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 02:59 UTC 版)

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福田寺
所在地 京都府京都市下京区富小路通六条下る本塩竈町590
位置 北緯34度59分36.11秒 東経135度45分50.77秒 / 北緯34.9933639度 東経135.7641028度 / 34.9933639; 135.7641028座標: 北緯34度59分36.11秒 東経135度45分50.77秒 / 北緯34.9933639度 東経135.7641028度 / 34.9933639; 135.7641028
山号 東岡山
宗派 時宗
本尊 阿弥陀三尊
創建年 文永元年(1264)
開基 宗尊親王
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福田寺(ふくでんじ)は京都府京都市下京区にある時宗の寺院[1]。山号は東岡山(とうこうさん)。

概要

寺伝によると、文永元年(1264)、鎌倉幕府6代将軍・一品宗尊親王(後嵯峨天皇の皇子)により創建された。開山は覚阿堯空上人。 東山の渋谷街道(滑谷とも)付近にあったので渋谷道場、滑谷道場(汁谷道場)とも呼ばれた。創建後まもなく、京都に遊行した時宗開祖一遍の化益により時宗に改宗した。

豊国神社の造営に際し、現在地へ移転。地所として高倉通万寿寺周辺(現在、京都市下京区福田寺町)を賜ったという。

本尊

本尊は阿弥陀三尊を祀る。阿弥陀如来像は、上半身は三尺阿弥陀には珍しく覆肩衣を着けず、衲衣のみで片方の袖しか垂れていないことから「片袖の弥陀」とも呼ばれる[2]。鎌倉期の作。両脇侍は江戸期の作。

乳房地蔵尊

本堂内には「乳房地蔵尊」が祀られる。乳の出を良くする、乳の病を治すなど、「乳房守護」のご利益で信仰を集める。寛文年間(1661-1673)には、「洛陽四十八所地蔵霊場」の四十四番札所に指定された。『洛陽四十八所地蔵霊場巡禮利生記』には小野篁が彫刻した六地蔵のうちの一体であると記される。また、この地蔵菩薩像はいつ頃からか行方が分からなくなっていたが、明治時代のはじめに髙島屋創業者の初代・飯田新七が夢想により地蔵尊を発見、当寺に奉納したと伝わる(本堂前に奉納の扁額がある)。

御詠歌(霊元天皇 御製) 「嬰児(みどりご)をわきて 恵みのいちしるき 乳房の求め かなはぬはなし」

所在地

京都府京都市下京区富小路通六条下る本塩竈町590

交通

脚注

  1. ^ 福田寺公式サイト
  2. ^ 京都国立博物館・朝日新聞社発行『特別展時宗二祖上人七百年御遠忌記念 国宝一遍聖絵と時宗の名宝』



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