福永寺 (取手市)とは? わかりやすく解説

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福永寺 (取手市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/15 07:50 UTC 版)

福永寺
福永寺本堂
所在地 茨城県取手市小文間4264
位置 北緯35度53分18.6秒 東経140度06分31.9秒 / 北緯35.888500度 東経140.108861度 / 35.888500; 140.108861座標: 北緯35度53分18.6秒 東経140度06分31.9秒 / 北緯35.888500度 東経140.108861度 / 35.888500; 140.108861
山号 海中山
院号 明星院
宗派 真言宗豊山派
本尊 毘沙門天
創建年 天長元年(824年
開山 嘆誉良肇
文化財 中妻貝塚(取手市指定文化財)
公式サイト 福永寺-取手市で葬儀・永代供養・墓地の事でお悩みなら「福永寺」へ
法人番号 6050005008854
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福永寺(ふくえいじ)は、茨城県取手市にある真言宗豊山派寺院

歴史

824年天長元年)に開山された。当寺の北部に広がる田園地帯は、開山当時は「香取海」と呼ばれる内海であった。その海岸毘沙門天像が発見された。その毘沙門天像を安置するために設けられたのが当寺の起源である[1][2][3]

1686年貞享3年)、当時の住職である定博は、飢饉による人心の荒廃を憂いて、生きながら石棺に入って埋葬される「土中入定」を行った。その加護もあってか、当年の収穫豊作であったという[1]

1982年昭和57年)、当寺の境内にあったカヤの大木を伐採して製材された板木に、人面が浮き出ているのが発見された。浮き出てきた顔は、当時の住職の父である先代住職の顔に見えた。これは「(先代が)寺の復興を喜んで現れてこられた」とされ、その板木は袱紗に包まれて本堂に安置されることになった[1]

文化財

  • 中妻貝塚(取手市指定文化財 平成8年4月1日指定)[4]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、172-175p
  2. ^ 福永寺について福永寺
  3. ^ 沿革・行事福永寺
  4. ^ 中妻貝塚取手市

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年

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