神崎郡立神崎商業学校(現滋賀県立八日市南高等学校)
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「田附政次郎」の記事における「神崎郡立神崎商業学校(現滋賀県立八日市南高等学校)」の解説
明治39年(1906年)6月、金巾製織が大阪紡績と合併した際、金巾製織が一旦清算されたため田附政次郎・阿部房次郎・藤井善助は退職金を得ることになった。そこで3人は退職金を出し合い『神崎郡に商業学校をつくる』資金とした。明治40年(1907年)2月『神崎実業学校』設置が許可され、翌6月校舎落成、明治43年(1910年)2月『神崎郡立神崎商業学校』(大正10年(1921年)県立に移行)に改名した。
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