祖沖之
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祖 沖之(そ ちゅうし、元嘉6年(429年) - 永元2年(500年))は、中国南北朝時代の南朝の天文学者・数学者・発明家。字は文遠。范陽郡遒県(現在の河北省保定市淶水県)の人。曽祖父は東晋の侍中祖台之、祖父は南朝宋の大匠卿祖昌之、父は南朝斉の奉朝請祖朔之、子は南朝梁の太舟卿祖暅之、孫は南朝梁の広陵郡太守祖皓。
祖父の祖昌之は戦乱を避けるために河北から江南へ移っており、祖沖之は建康で生まれ、若いころから数学の天才として知られた。円周率の計算や大明暦の編纂で知られ、三国時代の魏の劉徽と共に古代中国の最も偉大な数学者の1人に数えられる[1]。
数学
円周率πの値を 3.1415926 と 3.1415927 の間であると推算し[2][3]、その密率を 355/113 と決め、近似値(約率)を 22/7 とした[4]。彼には『綴術』という数学の著作があったことが知られているが、現在に伝わっていない。なお彼の息子、祖暅之(そ こうし、祖暅とも/「こう」は「日+恒」)も数学者であり[5]、半径 r の球の体積が
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