砥平郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 02:57 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動砥平郡(チピョンぐん、しへいぐん、朝鮮語: 지평군)は、現在の京畿道楊平郡の砥平面・龍門面・丹月面一帯にあった行政区域[1]。
沿革
元は高句麗の砥峴県であったが、新羅の景徳王が砥平県と改めて、朔州郡(現春川市)領県になった[1]。
李氏朝鮮時代、1685年(粛宗11年)に楊根郡に入ったものの、1688年(粛宗14年)には旧に復して再び砥平県になった[1]。
1895年(高宗32年)、春川府砥平郡に改編され[3]、1896年(建陽元年)には、また京畿道砥平郡に改編された[4]ものの、1908年9月に楊根郡と合併し楊平郡に改編された[2]。
脚注
- ^ a b c d 李弘稙「지평 砥平」『增補 새國史事典 (ENCYCLOPEDIA OF KOREAN HISTORY [증보] 새 국사사전)』敎學社、ソウル、1996年(原著1983年)、増補1版12刷、1306頁(朝鮮語)。ISBN 8909005068。
- ^ a b 勅令第69号 郡を合わせるのに関する案件(朝: 칙령 제69호 군을합치는데관한안건(勅令 第六十九號 郡을合치는데關한案件))
- ^ 勅令第98号 地方制度の改定に関する案件(朝: 칙령 제98호 지방제도의개정에관한안건(勅令 第九十八號 地方制度의改定에關한案件))
- ^ 勅令第36号 地方制度と官制改定に関する案件(朝: 칙령 제36호 지방제도와관제개정에관한안건(勅令 第三十六號 地方制度와官制改定에關한案件))
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