石帆惟衍とは? わかりやすく解説

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石帆惟衍

宋代の僧。西礙派の祖。運庵巌の法嗣浄慈寺住し晩年には天童山に嗣席した。我国に来朝した西礙子曇はその法嗣である。

石帆惟衍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 14:35 UTC 版)

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石帆惟衍
生没不詳
生地 不明
宗派 臨済宗松源派
運庵普巌
弟子 西礀子曇
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石帆惟衍(しっぱんいえん、または、せきはんいえん、生没不詳)は、代に活動した臨済宗松源派の僧匠である。松源下3世。

生年不詳、生地不明。記録に乏しく余り多くの事績が伝わらないが、運庵普巌の法嗣として蘇州能仁寺、浄慈寺ならびに天童寺といった名藍の住持となったことが知られており、当代の禅傑であった。北条時宗の請に応じて法嗣の西礀子曇を派遣している。没年は不詳であるが、浄慈寺の次代である環渓惟一が就任した咸淳9年3月11日1273年3月31日)以前とみられている。その墨蹟は日本に伝わり、重要文化財に指定されている。

参考文献

  • 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』pp.1231,1232 1985年
先代:
運庵普巌
臨済宗松源派
1226 -
次代:
西礀子曇


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