石川県に最多を譲ったのち復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:44 UTC 版)
「新潟県」の記事における「石川県に最多を譲ったのち復帰」の解説
ただし、翌1877年(明治10年)から1881年までの5年間にかけては、石川県が富山県の全域および福井県の嶺北地方を併合した「大石川県」となっていた ため、1位の座は石川県に譲った。 その後、石川県から福井県・富山県が相次いで独立し、石川県の人口が小さくなったことで、1882年(明治15年)から1883年(明治16年)にかけて新潟県が最多となった。
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