石川氏 (花山院家諸大夫)
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石川氏/梅戸氏 | |
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本姓 | 藤原氏 |
家祖 | 石川光行 |
種別 | 地下家 |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 | 山城国 |
著名な人物 | 石川光行 石川光有 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
石川氏(いしかわし)は、花山院家の諸大夫を務めた氏族。梅戸氏とも。
概要
石川氏は元々梅戸氏を称していたが、伊勢国の梅戸氏との関係は不明である。祖は石川光行で、寛文7年(1667年)12月13日に正六位下に叙され同年に梅戸氏から石川氏へと改姓している。光行の子・石川氏光は酒井有俊(若狭国小浜藩主酒井氏出身か)の実子・光有を養子として家督を継承させた。光有は同じく花山院家の諸大夫を務めた伯父・高橋俊和の猶子となっている。幕末には原在中[注釈 1]の三男・在親が光議の養子となって家督を継承し(このタイミングで従六位上に叙されている)、「梅戸在親」や「石川美延」を称して宮廷公家の御用絵師として活動し「春霞嵐峡図」を描いた。在親の孫の在貞も画家として活動し、京都美術工芸学校を卒業して大正4年(1915年)の天皇即位式に際して御所高御座浜床の「麒麟鳳凰図」を制作した[2][3][4]。また、清水元周の妻は花山院諸大夫・石川駿河守入道道斎で清水就周の母とされる。
系図
石川(梅戸)光行 | |||||||||||||||||
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石川氏光 | |||||||||||||||||
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石川光有 実酒井有俊子 伯父高橋俊和猶子 |
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石川光章 | 石川光直 | 石川光遠 | |||||||||||||||
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石川光政 | |||||||||||||||||
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石川光泰 | |||||||||||||||||
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石川光議 | |||||||||||||||||
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石川美延(梅戸在親) 実原在中三男 |
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石川在延(梅戸在勤) | |||||||||||||||||
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梅戸在貞 | |||||||||||||||||
脚注
注釈
出典
- 石川氏 (花山院家諸大夫)のページへのリンク