石川氏 (花山院家諸大夫)とは? わかりやすく解説

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石川氏 (花山院家諸大夫)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/30 01:58 UTC 版)

石川氏/梅戸氏
本姓 藤原氏
家祖 石川光行
種別 地下家
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
著名な人物 石川光行
石川光有
凡例 / Category:日本の氏族

石川氏(いしかわし)は、花山院家諸大夫を務めた氏族梅戸氏とも。

概要

石川氏は元々梅戸氏を称していたが、伊勢国の梅戸氏との関係は不明である。祖は石川光行で、寛文7年(1667年)12月13日に正六位下に叙され同年に梅戸氏から石川氏へと改姓している。光行の子・石川氏光は酒井有俊(若狭国小浜藩酒井氏出身か)の実子・光有を養子として家督を継承させた。光有は同じく花山院家の諸大夫を務めた伯父・高橋俊和の猶子となっている。幕末には原在中[注釈 1]の三男・在親が光議の養子となって家督を継承し(このタイミングで従六位上に叙されている)、「梅戸在親」や「石川美延」を称して宮廷公家の御用絵師として活動し「春霞嵐峡図」を描いた。在親の孫の在貞も画家として活動し、京都美術工芸学校を卒業して大正4年(1915年)の天皇即位式に際して御所高御座浜床の「麒麟鳳凰図」を制作した[2][3][4]。また、清水元周の妻は花山院諸大夫・石川駿河守入道道斎で清水就周の母とされる。

系図

脚注

注釈

出典

  1. ^ 敦賀市立博物館収蔵品データベース「原在中[1]
  2. ^ 三上景文『地下家伝[2]』第21-26 (日本古典全集刊行会、1938年)
  3. ^ 敦賀市立博物館収蔵品データベース「梅戸在親[3]
  4. ^ 敦賀市立博物館収蔵品データベース「梅戸在貞[4]



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