真宗大谷派高田別院とは? わかりやすく解説

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真宗大谷派高田別院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/09 13:42 UTC 版)

真宗大谷派高田別院
所在地 新潟県上越市寺町2-24-4
位置 北緯37度06分23.0秒 東経138度14分18.0秒 / 北緯37.106389度 東経138.238333度 / 37.106389; 138.238333座標: 北緯37度06分23.0秒 東経138度14分18.0秒 / 北緯37.106389度 東経138.238333度 / 37.106389; 138.238333
宗派 真宗大谷派
創建年 享保15年(1730年
開山 真如
別称 東本願寺高田別院
文化財 高田別院本堂、高田別院鐘楼、高田別院大門、高田別院塀(以上、登録有形文化財)
公式サイト 新潟県上越市 真宗大谷派高田別院‐himenokuni.com
法人番号 8110005008433
真宗大谷派高田別院
真宗大谷派高田別院 (新潟県)
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真宗大谷派高田別院(しんしゅうおおたにはたかだべついん)は、新潟県上越市にある真宗大谷派寺院

歴史

1730年享保15年)、真如によって開山された。真如は東本願寺第17代法主である。当地は浄土真宗宗祖親鸞配流の地であり、門徒から東本願寺の掛所(出張所)設置が強く望まれていた。当時の幕府は新寺建立を制限していたが、寺社奉行への嘆願などの甲斐あって、ようやく認められることになった[1]

当院は俗に「高田御坊」と呼ばれ、頸城地域の所属寺院の管理に当たった。1876年明治9年)、「高田別院」に改称された[1][2]

文化財

  • 高田別院本堂(登録有形文化財 平成27年8月4日登録)[3]
  • 高田別院鐘楼(登録有形文化財 平成27年8月4日登録)[4]
  • 高田別院大門(登録有形文化財 平成27年8月4日登録)[5]
  • 高田別院塀(登録有形文化財 平成27年8月4日登録)[6]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 別院紹介真宗大谷派高田別院
  2. ^ 新潟県の歴史散歩編集委員会 編『新潟県の歴史散歩(歴史散歩15)』山川出版社、2009年、40p
  3. ^ 高田別院本堂文化庁
  4. ^ 高田別院鐘楼文化庁
  5. ^ 高田別院大門文化庁
  6. ^ 高田別院塀文化庁

参考文献

  • 新潟県の歴史散歩編集委員会 編『新潟県の歴史散歩(歴史散歩15)』山川出版社、2009年

外部リンク




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