盧カン
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盧 𢝖(ろ かん、生年不詳 - 786年)は、唐代の官僚。本貫は范陽郡涿県[1]。
経歴
潁王府諮議参軍の盧子騫の子として生まれた。貞観年間の工部侍郎の盧義恭の玄孫にあたる。若くして蔭官により仕官し、職にあっては才幹と器量で知られた。閬州録事参軍・監察御史・殿中侍御史・金州刺史を歴任した。宰相の楊炎に厚遇され、長安に入朝して左司郎中・京兆少尹となり、京兆尹に進んだ。盧𢝖は学問がなかったが、権貴要人によく仕えて、その統治は苛酷で荒っぽいものであった。盧𢝖は宰相の盧杞に憎まれて、弾劾を受け、撫州司馬同正に左遷された。のちに饒州刺史に転じた[1]。貞元元年(785年)、福州刺史・福建観察使となった[2]。貞元2年(786年)7月乙未[3]、病没した[1]。
脚注
伝記資料
- 『旧唐書』巻126 列伝第76
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
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