白石塁の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/02 17:07 UTC 版)
6月に入るとついに東晋官軍が石頭城に迫ったが、守りが固い上に成帝が拉致された石頭城を前に膠着する。そこで陶侃の監軍である李根の献策によって石頭城にほど近い位置に突貫工事で一夜にして白石塁を建造し、ここに庾亮率いる2,000の兵を入れた。驚愕した蘇峻は急ぎ白石塁を万の兵で攻め立てたが、蘇峻の目を引きつける事こそ白石塁建造の主目的であり、隙を付いて郗鑒らの水軍が密かに移動して水運の要衝である京口攻略を狙った。この策は成功して郗鑒は京口の攻略に成功し、また囮となった白石塁も守将の庾亮が奮戦して数倍の兵数の蘇峻を撃退した。そして京口に鎮した郗鑒は郭黙に命じて大業・曲阿・庱亭に3つの塁を新たに築かせ、蘇峻軍の補給路を完全に分断した。 北方でも祖約軍の祖渙、桓撫に湓口が襲われて毛宝が迎撃に出たが、この時に主祖約の叛逆に兼ねてから不快感を持っていた桓宣が官軍に寝返り、毛宝は祖約軍を退ける事に成功すると毛宝は逆撃を加えて合肥を攻略した。
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