田上一秀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/27 00:25 UTC 版)
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |  日本 | 
| 出身地 | 宮崎県北諸県郡三股町 | 
| 生年月日 | 1947年7月23日(77歳) | 
| 身長 体重 | 185 cm 75 kg | 
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 | 
| ポジション | 投手 | 
| プロ入り | 1965年 ドラフト外 | 
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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        この表について
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田上 一秀(たのうえ かずひで、1947年7月23日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
都城農業高時代は、1965年のプロ野球ドラフト会議で西鉄ライオンズから10位指名を受けた坂元健投手の控えであった。打撃が良いので、一塁手で三番も務めた。
1965年夏の甲子園大会予選一回戦、対妻高戦(延長18回引き分けと再試合の2試合)で10打数7安打を記録し有名になった。
読売ジャイアンツや近鉄バファローズなどもマークしていたが、社会人野球の電電関東入りが内定していたので12球団とも選択リストには入れなかった。だが、1965年のドラフト外で南海ホークスに入団。
上手からの本格派。金田を思わせる身長だったが、コントロールが悪く、一軍公式戦に出場することはなく、退団した。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 48 (1966年 - 1967年)
関連項目
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