生神女庇護聖堂_(ネルリ河畔)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 生神女庇護聖堂_(ネルリ河畔)の意味・解説 

生神女庇護聖堂 (ネルリ河畔)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 05:10 UTC 版)

ネルリの生神女庇護聖堂

ネルリ川のほとりにある生神女庇護聖堂ロシア語: Церковь Покрова на Нерли, Tserkov Pokrova na Nerli)は、中世ロシアの代表的正教会聖堂であり、生神女庇護祭を記念している。ポクロフ聖堂、ポクロフ・ナ・ネルリ聖堂とも。

教会はボゴリュボヴォの、ネルリ川とクリャージマ川の合流点にあり、古都ウラジーミルの13キロ北東に位置する。

戦死した自身の息子を弔うためにアンドレイ・ボゴリュブスキーによって1165年に建築を依頼されたこの聖堂は、アンドレイの石造の城と回廊によって連結されていた。この建築物は白い石によって建てられ、1つのドームを持ち、内部には4つの柱がある。外見をよりスレンダーにみせるために意図的に建築面積を小さくしているため、奉神礼の実行にはやや狭くて暗い内部空間となっている。

長い年月にわたり、この記念碑的教会はボゴリュボヴォの宮殿を訪れる人々を迎え入れてきた。春には、かつてはこの地域は洪水に見舞われ、教会は洪水の水に浮かぶかのような姿を呈した。回廊は取り壊されドームの形は僅かに作り変えられたが、教会自体は手を付けられずに後世に残った。壁は今でも12世紀の彫刻によって覆われている。

1992年には、ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群の一部としてユネスコ世界遺産に登録された。

ギャラリー

関連項目

外部リンク

座標: 北緯56度11分45秒 東経40度33分44秒 / 北緯56.19583度 東経40.56222度 / 56.19583; 40.56222




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「生神女庇護聖堂_(ネルリ河畔)」の関連用語

生神女庇護聖堂_(ネルリ河畔)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



生神女庇護聖堂_(ネルリ河畔)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの生神女庇護聖堂 (ネルリ河畔) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS