王騰 (前燕)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/16 01:36 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動王 騰 (おう とう、生年不詳 - 356年) は、五胡十六国時代の前燕の軍人。字及び出身は不明。青州に拠っていた段龕に仕えていたが、前燕に寝返った。その後、侵攻してきた東晋軍に敗れた。
生涯
青州に割拠していた段龕に仕え、徐州刺史に任じられ、陽都公[1]に封じられていた。
356年2月、前燕の太原王慕容恪が段龕討伐にやってきた。慕容恪は段龕配下が守る諸城に帰順を呼びかけた。これを受けて、王騰は配下らとともに降伏した。慕容恪は王騰に陽都 (山東省臨汾市)[2]に屯することを命じた。
陽都郡公に封じられた。
8月、段龕は東晋に援軍を求めた。これを受けた東晋は、徐州刺史荀羨を援軍として派遣した。その頃、王騰は趙盤と瑯琊、鄄城 (山東省鄄城県) を攻撃、東晋の北境を騒がしていた。
荀羨は瑯琊まで進んだものの、前燕軍の強さを憚り、進むことができなかった。王騰は鄄城[3]を攻撃していた。これを知った荀羨は陽都に進攻した。雨が幾日も降り、城は壊れ、荀羨の攻撃で王騰は捕らえられ、殺害された。[4][5]
脚注
参考文献
- 『晋書』巻75、巻110
- 『資治通鑑』巻100
- 『十六国春秋』巻27
関連項目
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