王景 (翰林学士)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 王景 (翰林学士)の意味・解説 

王景 (翰林学士)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 08:38 UTC 版)

王 景(おう けい、後至元2年(1336年)- 永楽6年7月13日1408年8月4日))は、明代官僚学者は景彰、は常斎。本貫処州松陽県

生涯

洪武初年、懐遠教諭となった。博学なことから洪武帝の詔に応じ、宗廟祭祀における音楽の詩詞を作り、諸侯王の朝見儀礼を定めた。官を歴任して山西参政となったが、後に雲南に流された。建文元年(1399年)、張紞の推薦により南京に召還され、礼部侍郎・兼翰林院侍講となった。董倫とともに『太祖実録』編纂の総裁官をつとめた[1]

建文4年(1402年)、永楽帝が即位すると、王景は翰林院学士に抜擢された。永楽帝が建文帝の葬礼について諮問すると、王景は頓首して「天子の礼を用いるべきです」と答えた。帝はその言に従った。

永楽6年7月13日(1408年8月4日)、王景は在官のまま死去した。享年は73。著書に『玉堂稿』[2]があった。

妻子

  • 毛氏(先立って死去した)
  • 李氏(後妻)

  • 王宏
  • 王荊(早逝)
  • 王誠
  • 王信克(後嗣)
  • 王貫

脚注

  1. ^ 明史』廖昇伝
  2. ^ 黄虞稷『千頃堂書目』巻18

参考文献

  • 明史』巻152 列伝第40
  • 翰林院学士王公景彰墓碑銘(徐紘『明名臣琬琰録』巻13所収)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  王景 (翰林学士)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「王景 (翰林学士)」の関連用語

1
王景 百科事典
56% |||||

2
6% |||||

王景 (翰林学士)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



王景 (翰林学士)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの王景 (翰林学士) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS