玄宗との対立と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:50 UTC 版)
712年、睿宗が皇太子の李隆基に譲位すると、皇帝(玄宗)と公主の対立は激化した。公主は英明な玄宗の廃立を謀るが、陰謀が露顕する。713年、皇帝自ら兵300余を率いて公主一派を倒し、公主に死を賜った(終生、禁固を受けた説もある)。以後、玄宗の独裁体制が確立し、「開元の治」と呼ばれる唐朝の最盛期につながっていく。
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